大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和26年(う)1512号 判決

控訴人 名古屋地方検察庁 検事 羽中田金一

被告人 夏目明

検察官 浜田善次郎関与

主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋地方裁判所に差し戻す。

理由

名古屋地方検察庁検事羽中田金一の控訴趣意は、別紙記載のとおりである。

弁護人は、本件控訴は理由ないものと思料すると述べた。

よつて按ずるに、刑事訴訟法第二百五十六条によれば、起訴状に記載すべき事項として、公訴事実(訴因)とともに罪名を列挙し、その罪名は適用すべき罰条を示してこれを記載しなければならないのであるが、その罰条の誤は、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限り公訴提起の効力に影響を及ぼさないのである。しかして、右にいわゆる罰条の記載の誤は、これが記載を誤つた場合のほかその遺脱の場合をも含むものと解するを妥当とするが、その誤の是正すなわち追加、撤回又は変更については、公訴事実の同一性を害しない限度において、裁判所はその請求を許さなければならないことは同法第三百十二条第一項に明定するところであるから、その追加、撤回又は変更は公訴事実の同一性を害する場合においてのみ許されないものであることは明らかである。これを本件に看るに、起訴状には原判決摘示のように、被告人は、

(一)昭和二十五年十一月二十一日頃の午後十一時頃、名古屋市千種区今池町一丁目三十番地今池マーケット内にある華地山永和の店舗で、同人所有の飴八缶位(一缶は一斗缶の三分の一位のもの)、砂糖十五斤位(一万九千円相当)を窃取し

(二)梅本某と共謀し、

(イ)同年十二月二十二日午後十一時頃、同市中村区笹島町一丁目二百二十三番地株式会社名鉄共栄社(常務取締役大村保一)事務所で同社所有のキャラメル五箱位(一箱二百四十個入)及び煙草ピース十個位、光三十個位、憩三十個位、新生十七個位(二万二千円相当)を窃取し、

(ロ)同月三十日午後十一時頃、同所で、同所所有のキャラメル一箱(二百四十個位入、四千円相当)窃取し

たものである。

との記載はあつても、罪名及び罰条の記載を欠くのであるが、その訴因は特定されていて何等法律上の疑いを挾む余地はないものであつて、検察官は窃盗罪としての公訴を提起したものであることは何人も容易に諒解し得るところであるから、その罪名、罰条を追加しても何等被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞はないものと認められるから、右誤は公訴提起の効力に影響を及ぼさないと同時にその罰条、罪名の追加は、公訴事実の同一性を害するものではないから、その追加はこれを許さなければならないものと解すべきである。しかも、一件記録によれば、原審は第一回公判において、いわゆる人定尋問の後直ちに弁論を終結し、次の公判期日に判決を宣告する旨を告知して閉廷し、その後検察官は本件起訴状に記載された訴因に、罰条、罪名として刑法第二百三十五条、窃盗と追加する旨の罪名、罰条の追加請求書を提出し、判決を宣告すべき公判期日において、弁論の再開を求め、裁判所は弁護人の意見を聽いた上、終結した弁論の再開を命じ、検察官は起訴状を朗読した後、右罪名、罰条の追加についての許可を求め、右請求書を朗読したことが認められる。従つて右検察官の罪名等追加の許可請求とその追加請求書朗読との間に、裁判所の罰条等追加の許可請求を許したことは公判調書に記載されていないが、右罰条等の追加は上来説示のとおり裁判所これを許さなければならないものであるから裁判所はその追加請求を許容し、その結果検察官においてその請求書を朗読したものと解しなければならない。さすれば、本件公訴は右罰条等の追加があり、これを遺脱した瑕疵は治癒されたものであるから、原審は須らく訴訟手続を進めて公訴事実の存否について審理すべきであるのに、事ここに出でずして右検察官の追加請求書朗読の後直ちに弁論を終結して公訴棄却の判決を言渡したのは正に訴訟手続についての法令の適用を誤つたものと謂わなければならない。しかし、仮りに一歩を譲り、原審は右検察官の罪名等の追加を許さなかつたものであつて、検察官のその請求書の朗読は訴訟法上の効力を生じなかつたものであるとするも、上来説示するように、本件罰条、罪名の遺脱は公訴提起の効力に影響を及ぼさないものであり、その追加請求は公訴事実の同一性を害するものではないから、その請求を許すべきであつたのに、これを許さずして、その公訴提起を後日補正を許さない絶対的無効のものとして刑事訴訟法第三百三十八条第四号によつて公訴棄却を言渡したのは、是亦訴訟手続についての法令の適用を誤つたものであつて、以上いずれの場合においても、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検事の控訴は理由があり、原判決は到底破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条第四百条本文によつて原判決を破棄し、本件を原審名古屋地方裁判所に差し戻すべきものとし、主文のとおり判決した。

(裁判長判事 高城運七 判事 長尾信 判事 赤間鎮雄)

名古屋地方検察庁検事羽中田金一の控訴趣意

原判決は法令の解釈適用を誤つた違法な判決である。即ち、本件起訴状には公訴事実として、「被告人は、(一)昭和二十五年十一月二十一日頃の午後十一時頃、名古屋市千種区今池町一丁目三十番地今池マーケット内にある華地山永和の店舗で、同人所有の飴八缶位(一缶は一斗の三分の一位のもの)砂糖十五斤位(一万九千円相当)を窃取し。(二)梅本某と共謀し、(イ)同年十二月二十二日午後十一時頃、同市中村区笹島町一丁目二百二十三番地株式会社名鉄共栄社(常務取締役大村保一)事務所で同社所有のキャラメル五箱位一箱(二百四十個入)及び煙草ピース十個位、光三十個位、憩三十個位、新生十七個位(二万二千円相当)を窃取し、(ロ)同月三十日午後十一時頃、同所で、同社所有のキャラメル一箱(二百四十個入、四千円相当)を窃取したものである。」と掲記してあるが、罪名と罰条の記載を欠如していたところ、原審は本件公訴提起は、刑事訴訟法第二百五十六条に違背する無効のものであるとして本件公訴を棄却したのである。而して原判決が本件公訴提起を無効とする理由の要旨は、(一)刑事訴訟法第二百五十六条の規定によると起訴状には「罪名を記載しなければならない、その罪名は適用すべき罰状を示して之れを記載しなければならない」と明記してあるから、罪名と罰条の記載は起訴状の絶対的記載要件であつて、之れを欠く起訴状は絶対的無効と解せねばならぬ。それは右規定の文理上からも、又同条第四項の規定によると「但し、罰条の記載の誤りは被告人の防禦に実質的な不別益を生ずる虞がない限り公訴提起の効力に影響を及ぼさない」とあるに徴し疑を容れない。(二)斯様に罪名及び罰条の記載のない公訴提起は無効であるから、後日検察官において、随時、之が補正申立をしても、その無効が有効に補正治癒せられないものであつて、而して、右公訴提起の無効は公訴提起(本件に付いては、昭和二十六年六月十六日)のときを標準としなければならない。若し公訴提起後において、随時任意に、右欠缺の補正が許されるものとすれば、審判の対象とその限界を明示するためと、被告人の防禦方法保障の為めに、特に厳格な公訴提起の方式を規定した同法第二百五十六条の規定は無意味になることになるから、起訴状記載要件の欠缺ある起訴状は、後日の補正を許さない絶対的無効と解しなければならない。と謂うにある。

一、然しながら、刑事訴訟法第二百五十六条の法意は同法第三百十二条第三百七十九条、刑事訴訟規則第二百八条と関連して解釈すべきであり、然るときは、原判決が判示するが如く起訴状に罪名罰条を記載することが絶対的要件で之れを欠く時は公訴提起の効力を生ぜず、従つて後に之れを補正するもその瑕疵は治癒されないものではなく、寧ろ被告人の防禦に実質的に不利益を生ずる虞なき限り、公訴提起の効力に影響がなく、その補正も許容されるものと解するが相当であると信ずる。

二、抑々、刑事訴訟法第二百五十六条が公訴提起の方式として、起訴状に被告人の氏名その他被告人を特定するに足る事項、公訴事実及び罪名を記載しなければならないと規定し、更に公訴事実は訴因を明確に記載せねばならず、罪名は適用する罰条を示して之れを記載せねばならない事を要請する所以のものは、裁判所に対し、審判の対象と其の限界を明示し、他方被告人に対し、防禦の範囲を明示し、防禦を容易ならしめようとする趣旨である事は明白である。されば起訴状記載要件の不備が、公訴提起の効力に如何なる影響を与えるかは叙上の点より解釈すべきものである。而して、起訴状は、犯罪の類型を明かにし、公訴事実の同一性を確定させる為めのものであり(福岡高等裁判所昭和二四年十一月二八日判決高等裁判所刑事判決特報第一号三〇六頁)、更に何が起訴により裁判の対象とされたかは、起訴状に明示された犯罪事実(訴因)を基本として観察すべきであり、罪名、罰条などは訴因と相まつて起訴の対象を明確ならしめる補助的なものなるを以て、起訴状に罪名罰条の記載なくも、犯罪事実を対象として、審判の対象と限界とを決定すべきであり(高松高等裁判所昭和二十五年八月三十一日判決高等裁判所刑事判決特報第十二号一九〇頁)。又法律の適用は裁判所の職権に属し、起訴状記載の罰条の拘束力は絶対的なものではなく、被告人の防禦に実質的に不利益を生ずる虞のない限り、罰条の追加変更を為さないで、起訴状掲記以外の罰条を適用して有罪の判決をするも違法でないと解する(大阪高等裁判所昭和二十五年二月二十七日判決、高等裁判所刑事判決特報第十号四三頁)。

三、更に、罪名、罰条よりも本質的に重要である公訴事実に就いて、起訴状記載自体により明確でない場合には裁判所は審判の範囲を明確にするため且つは被告人に防禦の機会を尽くさせる為に、釈明権を行使するこは、裁判所の職務であると福岡高等裁判所昭和二十五年十一月六日の判決は判示して居る。(高等裁判所刑事判決特報第十三号一六八頁)。かかる場合、裁判所が公訴事実の不特定を釈明する職務ありや否やは別論としても、被告人の利益を害しない限度において、不明確な公訴事実を明確にさせる事は毫も法律の精神に反するものでなく、更に訴訟経済の立場よりも望ましい事である。又起訴状には訴因として窃盗、住居侵入の事実を記載しながら、窃盗罪の罰条のみ記載しあるものに対し、罰条の追加なくして、住居侵入罪を認定するも、違法に非ずとする判決がある(東京高等裁判所昭和二十四年七月十九日判決東京高等裁判所判決集昭和二四年度四四頁)。

四、以上の如く罪名、罰条は絶対的起訴状記載要件でなく、罪名、罰条を遺脱した場合にも、被告人の防禦に実質的不利益を生ずる虞がない限り、罪名、罰条を追加せしめた上、審理判決することも、法の許容するところであると解するのが相当である。

五、これを我が刑事訴訟法の母法であると云われている米連邦刑訴規則第七条は「法令引用の誤謬又は遺脱はその誤謬又は遺脱が、被告人を不利益に陥れない限り、正式起訴状若しくは略式起訴状の却下又は有罪認定の破棄の理由となすことが出来ない(高窪喜八郎外一名編刑事訴訟法(上)六四六頁)と規定しているが、之れは法令の摘示は、被告人をして防禦を誤らしめ、不利益を与えない限り、法令を摘示する心要がなく、又被告人をして、防禦を誤らしめ又は不利益を与える場合には、審理前にこの点の異議があつた場合、被告人は検察官に法令を摘示すべき旨裁判所の命令を得る事が出来るものと解されている。この点より考察するに、罪名、罰条の記載は、公訴事実(訴因)に比し、重要視されていない事が明らかであつて、同規則の解釈は、我が刑事訴訟法第二百五十六条第四項但書の解釈についても、以て他山の石とすべきであり、斯く解することによつて、同但書の趣旨も自ら釈然とするものと解する。

六、翻つて、本件起訴状について之れを見るに、窃盗の公訴事実が明確に記載され且つ刑法第二百三十五条の犯罪の構成要件に該当する具体的事実が特定されおるを以て、審判の範囲は明確であり、他方、この記載を何人が一読するも、如何なる犯罪により起訴され、審判を受けるのであるかも明白である。従つて、被告人の防禦の範囲も明確で、被告人の防禦をして誤らしめ又は不利益を齎らす事はなく且つこれに対し、被告人、弁護人においても、起訴状記載の公訴事実を充分理解し、防禦に何等の支障を来たしておらず何等異議を述べることなくして進んで審理を受ける事を望んで居り、検察官よりは罪名、罰条を追加して、審判を求め、裁判所に受理せられたることも、一件記録で明白である。斯る場合前記の理由より考察するも、本件公訴を棄却すべき何等法律上の根拠なきに拘らず、原審が本件公訴を棄却したのは、法令の解釈適用を誤つた違法な判決であり、破棄を免れないものと信ずる。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例